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ある現代国語の先生から学んだ言葉より効果的な教え


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:あおい(ライティング・ゼミ)

谷まん(たにまん)。私たちは親しみを込めてそう呼んでいた。
彼の名前は谷川先生。高校3年生の担任、教科は現代国語担当。
アンパンマンが髭を生やしたような風貌からなのか、はたまた肉まんのようにまんまるな体型だったからなのか定かではないけれど、私たちの担任になった時にはすでにそう呼ばれていた。

いずれにしても、彼は人のいいおじさん、いや先生だった。当時の私は、学校の先生なんて裏表アリアリ、何考えているかわからんし、どいつもこいつも信用ならんわ、と思っていたけれど、谷まんは違っていた。とはいえ、いわゆる熱血というわけではなく、かといって杓子定規なお堅い先生でもない。どこか緩くて適当で、人情味あふれる先生。
6年間温室のような女子高で育ってきて、何をするのも面倒でなかなか動こうとしない私たちに対して、彼は叱るでもなく諦めるでもなく、「お前らの気持ちはわかるけどな…… でもまあそういわずに、やれ」といつもなだめるように促してくれる、そんな先生だった。

ところがそんな好印象とは裏腹に、谷まんの現代国語の授業はびっくりするぐらいつまらなかった。
そもそも現代国語の授業って、「文中の『それ』はなにをさしているか?」とか「この時の作者の気持ちは?」とか、それほんまにそうなん? 作者に確かめたん? と言いたくなるようなことが多くて、当時の私は半ば疑いの眼差しで授業を聞いていたから余計そう思ったのかもしれないけれど、それを差し引いたとしても面白いとはいえなかった。全教科の中で、授業中の睡眠率1、2位を争うぐらいつまらなかった。
それでも谷まんはその授業スタイルを変えることなく、6年間続けていた。

そして、高校3年生の2学期、その事件は起こった。

2学期といえば最終的な進路を決めなければいけない時期。一応進学校だったので、ほとんどの生徒が大学進学を希望していたのだけれど、成績が伸びている子もいれば思うように伸びない子もいたりと、クラスには微妙に重苦しい空気が漂っていた。かといって一応受験生の身、ぱーっと遊びに行くというわけにも行かず、少しずつストレスが溜まってきた頃のことだった。

私たちの学校では毎週月曜日の朝、全体朝礼というのがあって、中学1年生から高校3年生まで全生徒が校庭に集合し、校長先生の話や、今週のスケジュールの確認、スポーツなどで表彰された人の表彰式などが行われる集会があった。
毎週毎週行われるこの儀式を、生徒の誰もが苦痛に思っていたことはたぶん間違いない。できるものならサボりたい、きっと皆そう思っていただろう。とはいえ、毎日校門の前で何人もの先生が、スカートの長さやカバンの厚みをチェックするために定規を持って立っているぐらい厳しい学校だったし、月曜日の朝礼は入学した時からの決まり事だったので、それはもうそういうものとして定着していた。ところがあるとき、その朝礼をサボる不届き者が、私たちのクラスに現れたのである。
受験のストレスを何かちょっと変わったことをして発散したいという思いがあったのだろう。あるクラブの部室に、そこの部員2人が朝礼をサボって隠れていたところ、運良くバレなかったのがことの始まりだった。
当時は生徒の数が多くて、一学年350人、それが6学年で2000人以上いたし、いちいち人数をチェックするわけではなかったから、2人ぐらい減ったところで全く気づかれなかったのだ。
そのことに味をしめた彼女たちは、そこから毎週入れ代わり立ち代わりサボるようになった。彼女たちは完全にその状況を楽しんでいた。そして始めは2人だったのが、3人、4人とだんだん人数が増えてきた。にも関わらず、谷まんは全く気づいていない様子だった。

そんなことが何週間か続いた頃、ついに私にも声がかかった。
「今日の朝礼サボらへん?」
12月の寒い月曜日の朝のことだった。悪いことだとはわかっている。でもサボっている彼女たちを見ながら、ちょっと羨ましく思っていたことも事実。一回ぐらいやってみたい。なんたって好奇心旺盛の私だから。一回やればたぶん気が済むだろう。そう思って友人の誘いに乗ることにした。
そして、誘ってくれた友人と私は、校庭に出ることなく目的地の部室に向かった。

部室に到着した私は、驚いてひっくり返りそうになった。
2,3人、まあ多くても私たち含めて4人ぐらいだと思っていたその場所には、なんと10人以上のクラスメイトが集合していた。
ブルータスお前もか! と冗談を言っている場合ではない。今日に限ってなんでまたこんなに多いんだ……
すぐにヤバイと思った。いくらおおらかな谷まんでも、10人も減ったら気づくだろう。
どうする? 今から走って校庭にでる?
いや、そんなカッコ悪いことはできない。
今思えばそんなところでサボっている方がカッコ悪いのかもしれないけれど、その時は自分だけそこから抜けるということはできなかった。

朝礼が始まる。みんな息を潜めて丸くなっている。
このままバレずに朝礼が終わることを祈るのみ。
1分、2分、いつもより時の流れが遅くなったように感じた。

ところが、現実はそう甘くはなかった。
廊下を歩く足音がする。こちらへ向かっている。
そこにいた全員の顔が引きつった。

バン! と部室のドアが空いた。谷まんだった。
谷まんは、私たちの姿を見るなり、「でてこい!」と大声で叫んだ。
うつむきながら出て行く私たち。
「廊下に一列に並べ!」
谷まんは、怒りで顔を真っ赤にしていた。

しばらく沈黙が続いた。

その後谷まんは何か言いかけたが、それをぐっと飲み込み、決心したかのようにこう言った。
「全員、俺の方を向け。目を見ろ」

私たちは谷まんの目を見た。ちょっと潤んでいるように見えた。
その瞬間、谷まんのビンタが飛んだ。
右端から順番に、一人ずつ、思いっきり平手でビンタされた。

その後谷まんは、「さっさと教室に戻れ」とだけ言い残し、その場から去っていった。

「ビビった……」と口々に言いながら、赤くなった頬を押さえてトボトボと教室に戻った私たち。ココロの中は何とも言えない複雑な気持ちだった。教室に戻ると、頬の痛みに加えて、朝礼に参加していた他の生徒から視線がちょっと痛かった。

間の悪いことに、その日の2時間目は、現代国語の授業だった。ところが谷まんは、朝礼の件について何も触れることはなく、いつも通りのつまらない授業を続けていた。
そして、その日の全ての授業が終わり、帰りのホームルームの時にも、朝の事件については一切触れず、いつも通りにホームルームを済ませ帰宅することとなった。

それからしばらくの間、この一件についての後始末はどういう形でなされるのか、私たちはびくびくしながら過ごしていたけれど、次の日も、その次の日も、職員室に呼ばれることはなく、始末書を書かされることもなく、それどころか親に報告されることもなく、結局この件に関しては、あのビンタ一発で何のおとがめもなく終わってしまったのであった。

それ以降、朝礼をサボる者は一人もいなくなった。
もちろん、「先生にビンタされた」なんてことを親にチクる友人もいなかった。
あの事件は、私たちと谷まんとの間だけで起こった出来事となったのである。

それから20年以上の歳月が流れ、今から10年ほど前の話。
長女が中学受験をすることになり、大手の塾が主催する私立中学の説明会に行ったとき、なんとばったり谷まんに出会ってしまったのである。卒業後一度だけ、同窓会に出席してくれた時に出会ったきりだったから、約20年ぶりの再会。
谷まんは入試の担当になっていた。20年の年月がたっているのにも関わらず、私のことを覚えていてくれた。
雑談をする中で、あの時の事件についてちょっと聞いてみた。
「先生、私たちが朝礼をさぼってビンタされたこと、覚えてますか?」
すると谷まんは、「もちろん、覚えてるさ。長いこと教師やってるけど、後にも先にもあんなことしたヤツらは他にいなかったからな」と苦笑いしながら答えた。
その後で谷まんはこう付け加えた。
「おまえらは一発ずつやったからええけど、ボクは10人も叩いたから、一番痛かったのはボクやで」その言葉を残して、彼は微笑みながら去っていった。

そうですよね、先生。私たちはカラダの痛みも一人分、ココロの痛みも一人分。
でも先生は、カラダもココロも10人分の痛みを、一人で引き受けてくれていたんですね。

あの時はうまく言葉にならなかったけれど、今はこんなふうに思う。
谷まんは、私たちに対する信頼を、あのビンタ一発に込めた。
あの時に谷まんが言おうとして言わなかったこと、
「今日のことは誰にも言わない。その代わり二度とするな」
それをカラダで感じ取った私たちは、「もう二度と先生を裏切ってはいけない」とココロから思った。そのことを言葉にして話したわけではないけれど、そこにいたみんながわかっていた。

あのビンタ事件から30年以上の月日が流れ、私もかれこれ半世紀以上生きているけれど、
後にも先にも、私がビンタされたのは谷まんの一発、あの時だけだ。
体罰がいいとは思わない。今のご時世なら有り得ない話かもしれないと思う。下手すれば首がとんでもおかしくない。当時でさえも、あの一件を表沙汰にせず丸く収めるために、もしかしたら先生は裏で何か動いていたのかもしれない。

そうまでしても先生が伝えたかったこと、
人を悲しませるな。人を裏切るな。
国語の先生でありながら、言葉で伝える何十倍もの効果が、あの一発にあったことは間違いないと思う。

 

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2016-12-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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